ああコナモンが止まらない。~あなたの知らないお好み焼き秘話~
2021年03月26日
執筆:営業本部長 山口 卓
コナモンて大阪では…!?
コナモンは大阪やで!と信じている皆様、でもコナモンのルーツは東京らしいってご存知?
えっコナモンって大阪じゃないの!! 大阪人は絶句・・・。[1]「粉もん処が、目に入らぬか!」なんて日本コナモン協会まで大阪には有るのに。
コナモンの代表、お好み焼きの原型は明治・大正に遡り、当時の東京の埋立地、月島での文字(もんじ)焼き誕生から昭和戦前の「一銭洋食」に繋がるそうです。これは小麦粉を水で溶いて平らにして焼いてウスターソースを塗った子供のおやつで、当時の大人は米飯中心のため、あまり興味が無かったようです。
しかし、太平洋戦争敗戦で状況が一変。戦後の食糧難で米飯が思うに任せず、更には米軍の余剰小麦を配給した「メリケン粉」が出回り、大人も「一銭洋食」に豚肉を少し載せて空腹を凌ぐようになったとか。戦後混乱時代です。
お好み焼きはグルメ界への仲間入り
ところがそこからは工夫の天才日本人。焼け野原から立上がり、お好み焼きソースを開発。
この出会いが相性良く、戦後復興、高度成長時代の波にも乗って、特に関西方面、広島方面でお好み焼きが快進撃。ここからお好み焼きは大阪人と相思相愛の関係に。ブタ、玉子、イカなどお好みに具を入れるかと思えば、青のり、鰹節、挙句の果ては焼きそばも取込み、マヨネーズまで塗っちゃって・・。
終戦直後の日本人が食べたら涙ともども感極まる健康優良食品に成長。平成バブル期にもお好み焼きメニュー進化目覚ましく、創作お好み焼きメニュー多数誕生。
今や目出度く全国レベルでグルメお仲間入りにご昇進と相成った次第。この勢いで日本食として世界進出にも虎視眈々です。
微笑みの 小町が青のり 歯にひとつ
戦後の焼け野原がお好み焼き生みの親だなんて・・。世の中、予期しない出来事が運命を変えるんですねえ。
今落ち込んでいるあなた、思いもよらぬ事が転機になって大成功に変わる事有るかも。
さてさて日本人にこよなく愛されるコナモン。でも令和の時代に変わってもコナモンにはくれぐれもご油断無きように。
「微笑みの 小町が青のり 歯にひとつ」。
職場の小野小町さんのあなた。デートでは食後の鏡チェックをお忘れなく。
[1] 日本コナモン協会パンフレットより引用
出典:https://www.konamon.com/info/index.html
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